「子どもの理不尽な言動に耐える教師たち」このまま放置でいいのですか?⑴【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「子どもの理不尽な言動に耐える教師たち」このまま放置でいいのですか?⑴【西岡正樹】

教師に対する理不尽な言動が低年齢化している理由

 

◾️子どもの理不尽な言動が低年齢化している原因

 

 学校における子どもの理不尽な言動が低年齢化していると言われて久しい。その原因は何なのか、考えてみた。まず、その1つとして私が考えるのは、「低学年の子どもたちが置かれているアンバランスな状況」である。

  就学直前の子どもたちは、それぞれの幼稚園や保育園で一番の年長者として年下の子どもたちの手本として行動することを求められ、そのように行動していたはずだ。ところが、小学校に入学するや年齢が一番下にあり、教師たちや生活支援員の手厚いサポートを常に受け、「手本」である自分が一気に甘えられる存在に変わってしまうのだ。

 このような環境の変化を、子どもたちは戸惑いを持って受け止めたのではないだろうか。今日に至るまでに幼稚園や保育園で得た知識や体験は子どもたちの中にしっかり残っているのに、小学校ではその体験が活かされないというジレンマはとても大きい。

 できることが積み重なって得られる満足感や達成感は子どもの成長に必須なのである。満足感や達成感を持った子どもは、次へのモチベーションが高く、マイナスな言動が少なくなる。

  また、次に考えられる原因は「情報量の多さに子どもたちが対応できなくなっている」ということである。

  今や、幼稚園や保育園の児童であっても、自在にIT機器を操る時代だ。そこから得る情報内容や量は、子どもたちの判断力をはるかに越えている。そのため、時に子どもたちは、その言葉が適切かどうか判断できないまま使ってしまうのだ。

「教育委員会に訴えてやるからな」「先生なんて偉くもなんともない」

 このような事を子どもがきちんと理解し発しているとは思えない。IT機器か、自分の周りにいる大人から得た情報(言葉)だけが自分の中に残り、それを使うことで何がどのように伝わるのかということを理解できないまま使っているにすぎないと思える。このような子どもたちには、「人の大切さ」「言葉の大切さ」をしっかり伝え、「人はひとりでは生きていけない」ということをちゃんと実感させなければ、人や言葉がますます軽くなっていく。

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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